大事なことは
つい最近…何かで見たんだか読んだんだか、「子供の頃に作文をすることで自分を客観視できるようになる、だからむしゃくしゃしても落ち着きを取り戻せる余地ができる」みたいな情報に触れた。思い出した、子育て本だ。まあともかく、そんな話があった。なるほどね、と思う。自己肯定感関係でよく取り上げられるスリーグッドシングとかまさにその観点だ。そういえば最近スリーグッドシングスやらなくなったな、一時期めっちゃやってたな。
https://president.jp/articles/-/46285
そういえば、前に『ADHDの段取り力』という本を読んだときに「有名な自己啓発本(確か『7つの習慣』)に書いてあることとおんなじ内容じゃないか」と思ったことがあった。あんな感じで、物事について大事なポイントは似通っているのかもしれない。
と、そんなことを思い出しながら日記を更新している。今日はどんなことがあったか。ほとんどいらついたり焦ったりしてばっかりだった。なんだかんだで年末は忙しい。あと、隣のグループの課長(苦手な方)が、いつものように人材育成論について講釈をたれていた。こいつの話は「はいはい、あなたが優秀なのはよくわかりましたよ」と思ってうんざりする上に、まるで自分に言われているように刺さるときがある。この人の下にいたら、辛いだろうが今よりは成長できたのだろうか。まあ、その点あまり悲観はしてなくて、どこにいても一緒だと思っている。今できることを今できるようにやるのだ。…あれ、なんか意外に前向きなシメになったな。ま、こんなときもある。
ゴミみたいな自分
久しぶりに気分が落ちている。絶望的に暗い気持ちと言ってもいい。
きっかけは会社の同僚(じじい)の一言である。確かに私の指示にはおかしいところはあるんだけれども、それを汲み取ろうとはせずあくまではねつけてかかる(こう文章化したら、自分の傲慢さも垣間見えたが)。
もう自分なんかいないほうがいいのではないか。自分がいることで何かの役に立っていることなどなにもないのであろう。ゴミのような仕事だな、と思う一方で、ゴミはてめーだろと、もうひとりの自分が冷静に言った。
自己評価が高いから苦しむのか?そうだとしても、もう少し頑張ろうという気にもならない今の環境は一体何なのだろうか。
残る日々を計算する
意味のない計算が好きだ。
「53×29、うわあ、あと1,537回もこの憂鬱な日曜日を過ごすのかよ」
コロナ禍で出歩けない人々が散歩のために集まっていた昨年の4月の公園で、私は妻にそんなことを言った。これは60歳で仕事を辞めると仮定したときに、あと何回この週末を味わわねばならないのかを計算した結果だった。今はあれから76週間ほど経ったので、残る週末は1,500回を切ったことになる。
ここまで計算して、ふと思う。「あれ、つまり残りの社会人人生のうち、5%近くも消化したのか」
これには一瞬喜びとも驚きともつかぬ思いがよぎったが、冷静に考えれば当たり前の数字だった。当時31歳、残る29年のうち1.5年が過ぎたのだ、暗算の概算でもだいたいそれくらいの数字になる。ただ、入り口になる数字が違ったので少しびっくりしたのだ。
改めて5%という数字を考えてみる。これは馬鹿にできないほど大きな数字とも言えるし、そうでないとも言える。投資における年間リターンと比較するか、統計の有意水準と比較するか。比較対象により印象は変わるが、やはりここは大きいと思った。仕事人生の大きな部分を、こんな、苦悩にまみれて終わらせてしまったという焦りもあった。
だが、この過ぎた76週間を取り戻すすべもない。そうすると、残る1,500週間弱をどう過ごすかもいう思考になる。このように考えても、なかなか「じゃ、しゃーないからポジティブにいくか」とはならない。なんだかよくわからないが、現状が打破された先にあるユートピアを見たくなってしまう。そんなもの、あるかどうかもわからないのに。そもそも、現状をどのように打破するというのだ。
まったくわがままかつ都合のいい人間性の持ち主である。
浪人生時代の自分と会話をする妄想をしてみた
最近恒例となった夜散歩をしながら妄想をした。
19歳の私、そして40歳の私と、それぞれ一対一で会話をするのだ。
19歳の私は、浪人生だ。未成年の浪人生らしく、進学する大学、彼女、そして仕事の話も聞いてきた。大学については伏せてやったが、あとはそれなりに答えた。
19歳の私「で、仕事は何をしているの?」
現在の私「〇〇を支援する仕事をしているよ」
19「そうか…。〇〇にはなれなかったか。でも、なんらか〇〇に関係はしている訳だね」
現「いや、〇〇にはなった。なったけど、転職した」
19「え、転職。なんで」
現「色々あってね」
19「その仕事面白いの?」
現「面白くはないな。最初は面白そうだと思ったけど、自分で手を動かす仕事じゃないんだ。おまえ、川でゴミ拾いとかして、自分の手を動かして自分で称賛を浴びたいタイプだったろ。それとは真逆だ。表舞台には立たない」
19「でも、面白くなさそうなのは自分でもわかってたんじゃないの?今の俺の気持ち覚えてるみたいだし」
現「覚えているというか、思い出したんだな。まあ、はっきり言って自分を読み違えた。そういうことも、仕事となれば意外とできるんじゃないかと思ったんだよ」
19「そっか…つらい?」
現「つらくないことはないな。でも、生活には困ってはいない」
19「…」
現「まあ、あまり悪く考えなくてもいい。客観的には間違いなく幸せだよ」
19「そう…難しいんだね」
現「そういうものらしいよ、残念ながら」
夜の散歩はパラレルワールドの旅
今日も夜散歩をした。深夜徘徊と言うにはあまりにも時間が早いし健全なので、夜散歩と表現を改める。マウンテンパーカーを着込み片手にはストゼロ、怪しい要素はゼロとは言えない。閑話休題、これがなんとも気持ちいい。まず夜は音の響きが違う。これは仕事帰りとかにこの時間(21時台)歩いていても気づかないんだけも、随分と世界が違って感じる。あとは、明かりの怪しさかな。怪しいといっても、心霊的な不気味さというより、人が生活している証という意味での生々しさと言ったほうがいい。見知った土地なのに、まるでパラレルワールドを歩いているかのような違和感がつきまとう。ともかく、夜散歩はとても気に入った。今は家族の生活リズム的に実行しやすいのでありがたい。今日は散歩の前に勉強もしたし、自分に花丸を贈呈したいところだ。
夕方、仕事終わったあとは頭がバチバチスパークして多動傾向マックスで酷かったな。あれはなんでだろうか、金玉が痒かったからだろうか。そんな気分が発散していれば、なおよし。
登り始めたばかりの転職坂から降りた話
今日は4連休の最終日。毎日あっという間に終わって脳死状態で今を迎える。明日のことは考えない。
そういえば、エージェントは面談直前で辞めた。家族から猛反対を受けたのだ。まあそりゃそうか。成り行きで転職決めない可能性はゼロではないしな。それに、面談の準備もめんどかったからいいけど。とりあえず、わけのわからん求人から「応募しませんか」をもらって、うへへと思って終わったので、目くそ程度に得るものはあった。まあこんなもんで良い。エージェント側のブラックリスト入ってて、再転職しづらくなっちゃったとかでなければいいけど。
それにしても、今の会社の職務経歴書、書くこと何もなくて焦ったなー焦りすぎてうんこ漏らしそうになったわ。うちの会社の400人近くも、同じ気持ちになったことはあるのだろうか。
これから深夜徘徊に向かう。深夜とか言って、まだ20時台だけど。
このブログについて
はじめまして、つの助(つのすけ)と申します。
このブログは、私が日々暮らしていく中で感じる、主に仕事に関する悩みを書き連ねている日記です。
ここ最近、当ブログのように日々の悩みを綴っているブログによく励まされました。それが今回ブログをはじめたきっかけです。
これを公開することで誰かの役に立つかもしれない。そんなことを夢想しながら気ままに更新していきます。
さて、このブログの記事の一部は、Evernoteに一人で書いていたものを転記しています。
具体的には、この投稿日以前の記事がそうです。そこから身バレしない程度に若干の修正を加えています。この日以後はリアルタイムで更新したものです。
当面は、過去に遡って記事を反映させる作業を進めます。毎日更新しようなどとは思っていないため、最初からぼちぼちやっていきます。
それでは、楽しんでいただければ幸いです。
ゴージャス・マイステージ
本ブログを立ち上げた。はっきり言って馬鹿だと思う。そんな時間があるなら、4ヶ月停滞してるもう一個の趣味ブログやれよと。あるいは勉強するか寝ろよと。でも、自分の軸を仕事以外の何かに振れさせようとする試みだ。少しは多みに見てくれ、内なる私よ。
馬鹿といえはもう一つ馬鹿なことをした。昨日の夜、日記を書いた勢いで何を間違えたか転職エージェントに登録してしまったのだ。スカウトとか来たら自己承認欲求満たされるかな、なんて軽はずみであった。木曜日にエージェント担当者と面談になってしまった。今回こそは全く転職する気はない(以前転職活動始めた時も書いたな…)ので、適当にあしらってしまおうと思う。もし前の業界に戻るなら前職しかないと思うし、その時は元上司に相談するしかないと思うし。使わんよ、正直…。
それにしても、今日も朝から絶望的な気分だった。午後全部打ち合わせとかあほか。勘弁してくれ。残業中は邪魔が入らなかったから良かったものの。今日は夜ふかししないで寝る。